サーノ博士のヒーリング・バックペイン


ジョン・サーノ著
長谷川淳史、浅田仁子 訳
  春秋社


 この本は、腰痛だけでなく肩こりや膝・股関節の痛みなど、実に多くの痛みがTMSであるとしています。 TMSとはTension Myositis Syndrome の略で直訳すると 「緊張性筋炎症候群」ということになります。簡単にいうと、
潜在意識の中にある不安や恐れなどから心をそらすために、脳が体に痛みを感じさせるというものです。 この場合に起こっているのは、筋肉・神経・腱の血流減少ということです。  TMSによる痛みを治すには、原因となる不安や怒りを無くすことではなく、 「痛みは自分の不安や怒りからくるのだということを理解し、潜在意識に浸透させることだ」と述べています。

 実際この方法で多くの人の腰痛が治っているということで、この本を読んだだけで腰痛が治ったという人もいる とのことです。しかし一方で、これを疑問視する医師や研究者も多いということです。このページでは、内容を紹 介しながら、私自身が納得できる点と、疑問に思う点を述べてみます。


 これは納得できる!


 ・・・この痛み(腰痛や肩こり)は骨ではなく・・・首や肩、腰、殿部の筋肉が関係しているのだと私は気がついた。 (Bページ)

 これは、私も日常診療において常々感じていることです。

!&?  膝の痛みに下される診断で多いのは、変形性膝関節症や不安定性膝蓋骨、あるいは外傷だ。しかし、検査では 膝関節周囲の腱や靭帯に過敏となっている部分のあることが明らかになるし、痛みも通常、背腰痛と同時に消えて しまう。(13ページ) 

 この事実は私も認めています。変形性膝関節症でヒアルロン酸の注射をしても痛みの続く人のなかには、 大腿四頭筋の膝蓋骨付着部付近の腱に痛みがある場合があります。ヒアルロン酸の注射が効かないからといって 人工関節をするのは検討不足ということになるでしょう。しかし、これがTMSかというと、ちょっと疑問に思います。というのはここへの トリガーポイント注射で、たいていの場合は痛みが消失するからです。背腰痛と同時に消失するというのは、 腰と膝の関連が強いので、これがTMSというのは一考を要すると思います。

 「むち打ち症」・・・しばらくすると特に首や肩、ときには背中の中央部から腰にかけて痛みはじめる。 ・・・これがTMSだとわかっていれば・・・ (Bページ)

 交通事故のあと、症状が長く続くのはTMS、これは確かにそうだと思います。従来の治療法を変えたほうが 良いかもしれません。

 痛みをもたらす姿勢や活動それ自体は、たいして重要ではない。大切なのは、痛みがTMSの 一部として組み込まれたものであり、ゆえに、その痛みの意味は、身体よりむしろ心にあると知ることだ。(30ページ)

 痛みの原因が全て心にあるということは無いと思いますが、治癒過程では上のことを信じて行動したほうが 良い結果が生まれると思います。 

 線維筋痛は、・・・TMSの同義語といえる。(79ページ)

 私は典型的な線維筋痛症はみたことがありませんが、類似の状態は数多く見かけます。 線維筋痛症の定義や状態像を文献と照らし合わせて観てみると、まさにTMSだと思います。 

 主な痛みが消え、まったく恐怖を感じないで身体を自由に動かすことができるようになって初めて、 効果的な治療がなされたといえる(111ページ)

 たしかに、診察しても体の問題点は解決しているのに、恐怖で体を動かさない人は大勢います。 この人達の治療にはTMS理論が役に立つでしょう。 



 これはどうなんでしょう?


 こうした痛みの大半は、心が緊張して筋肉や神経、腱、靭帯に変化が生じたために起きたものだと 私は診断してきた。そして、この診断が正しいことは、わたしの治療法による治療率の高さが証明している。(4ページ)

 この治療法が有効だったからといって、痛みの原因と直接結びつけることは難しいのでは ないかと思います。痛みの原因が他にあって、心が治癒を阻んでおり、それを解決すること により治癒に至ったのかも知れないのです。

 子供のいわゆる「成長痛」はTMSの症状だと確信している。(6ページ)

 「筋肉の血流が減少して起こる痛み」という点では私も同感です。でも、子供の場合は 夢中で走り回って遊んだ日の夜になることが多いので、単なる生理的なものだと考えて います。おかあさんが、子供が寝る前にストレッチ(特に大腿四頭筋とハムストリングスのストレッチ)を手助 けすれば起こらなくなる場合が多いようです。

 TMSは普通、発症した証拠をまったく身体に残さない。(6ページ)

 TMSが長引いて筋肉の血流減少が続くと、筋肉の委縮や線維化がおこってくるように 思います。経過の長い人の筋肉に注射針を刺すと「バリバリ」という抵抗を感じるの です。でもこれを検査で調べようとしても、良い方法が無いだけの話だと思います。

 (TMS患者の)77%が30代から50代、9%が20代で、10代はわずか2%だった。高齢の60代と70代は、 それぞれ7%でしかなかった。この統計から、たいていの背腰痛の原因が心にあることがはっきり 伝わってくる。(7ページ)

 この統計は背腰痛患者のうちTMS患者に絞っているはずです。私が最近調べた283人の 腰痛患者の年齢別分布は、48.7%が30代から50代(30代18.0%、40代15.9%、50代14.8%)、6.0%が20代で、 10代は4.2%、60代と70代はそれぞれ16.3%と17.7%(80歳以上は7.1%)でした。私の調べた結果とかなり違 うのは、単に国とか人種の違いではなくて、サーノ博士が患者をフィルターにかけて、TMS患者のみに絞っ ているということです。私の結果では30代〜70代までほぼ同じ位の発生頻度です。だから、「たいていの 背腰痛の原因がこころにある」というのは間違った統計解釈といってよいでしょう。これを訂正する ならば、「30代〜50代の腰背痛の原因は心にあるかもしれないが、 60代以降は加齢が原因と考えられる。」ということになります。このほうが信憑性のある内容だと思います。

 椎間板ヘルニアが痛みの原因になることはまずない(20ページ)

 「腰痛があってMRIを調べたところ、椎間板ヘルニアがあった。」といった場合、おそらく椎間板の繊維輪に 亀裂が入った直後には痛みの原因となります(椎間板性腰痛)。また、椎間板ヘルニアの神経根の刺激による下肢痛は確実 にあるわけで、「椎間板ヘルニアが痛みの原因となることはまずない」というのは言い過ぎだと思います。ただ、ヘルニア 発症後時間がたって痛みが残る場合は、筋肉そのものの痛みが残ってしまった状態といって良く、これをTMSと診断して も矛盾は無いと思います。

 腰痛の人はたいてい、座るときに必ず痛むという。・・・座る動作と痛みの発生を脳が結びつけ、座れば痛みを感じる というプログラムを作り出したのだ。(27,28ページ)

 腰痛のある人すべてが座るときに痛むとは限りません。立ったり座ったりする動作で痛む部分は腰の特定の 筋肉に負担がかかるからです。その筋肉にトリガーポイント注射をすることにより、その痛みは消えてしまい ます。ただし、治療に関してはTMS理論にそって行われれば、余分な緊張がとれて腰痛が軽減することは 十分に考えられます。

 歩くと痛みが和らぐという人が多いかと思えば、歩くと痛くなる人もいる。夜になると痛みが強くなって 眠れないという人もいる。・・・いずれも、明らかに条件付けによる反応だ。(28,29ページ)

 じっとしていると負担のかかる筋肉、歩く時に負担のかかる筋肉、横になって休むと負担のかかる筋肉、 それぞれ特定の筋肉に痛みを生じます。これもトリガーポイント注射をすることにより、その痛みが消える ので、条件付けによる反応では無いと思います。これも、治療に関してはTMS理論にそって行われれば、 余分な緊張がとれて腰痛が軽減することは考えられます。

 次のような例はどうだろう。前屈みになって手のひらを床につけても痛みを感じない女性が 私に訴えた。「靴を履くとき必ず痛みを感じるのです!」(29ページ)

 これは痛みが身体の構造異常からきているものではないという例を挙げたものなのでしょうが、 前屈で痛むのは多裂筋、靴を履くとき痛むのは脊柱起立筋(主に腸肋筋)なので、障害された 筋肉の部位によってはこのようなことが起こるわけです。

 第5章 従来の診断


 この章は、従来の様々な診断名に対して、実はTMSであると述べていますので 独立して取り上げました。 私なりの経験から、TMSだと同意できるもの、いや TMSだけでは無さそうだと思われるものに分類してみました。

TMSだと同意できるもの  ファセット(椎間関節)症候群、脊椎関節炎(ここでは変形性脊椎症のこと)、腰仙移行椎、 潜在性脊椎披裂(二分脊椎)、脊柱側弯症(ここでは特発性側弯)、踵骨棘、線維筋痛、 尾骨痛、神経腫(モートン病)、顎関節症

 ・椎間関節性腰痛というのはめったに無いと思います。
 ・単なる変形性脊椎症だけでは腰痛の原因にならないと思います。
 ・腰仙移行椎、潜在性脊椎披裂、(特発性)脊椎側弯は痛みの原因になりにくいと思われます。
 ・踵骨棘が無くても足底の痛みを生じることがあります。
 ・尾骨痛は筆者が言うように、尾骨に付着する筋肉の痛みのようです。
 ・モートン病は神経腫といいますが、足の骨間筋の痛みだと思います。
 ・顎関節症は、噛み合わせや顎関節の問題もあるかもしれませんが、それよりも咀嚼に関係する
  筋肉の緊張が問題のことが多いようです。


TMSだけでは無いと考えられるもの  椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、神経根圧迫、脊椎分離症、脊椎すべり症、変形性股関節症、 軟骨軟化症(膝関節)、滑液包炎、腱炎、足底筋膜炎、捻挫と過労

 ・椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、神経根圧迫のいずれもが、急性期には強い疼痛を示す
  ことがあります。実際、神経ブロックに反応するわけですからTMSだけとは言えません。
 ・脊椎分離症では分離部分で肉芽組織ができて神経根を圧迫することがあります。
 ・脊椎すべり症のみでは痛みが出るとは思いませんが、程度が強くなると馬尾症状が出ること
  があります。
 ・変形性股関節症では関節のすき間が殆ど無くなると、強い痛みを生じます。軽度であれば
  関節の痛みというよりも、関節周囲の筋肉の痛みのようで、これをみてTMSと判断した
  のではないかと思います。
 ・膝の軟骨軟化症があると、階段の上りなどで痛みます。痛みは大腿四頭筋の腱に生じるかも
  しれませんが、それは構造的な障害によって大腿四頭筋に負担がかかるためだと思われます。
 ・肩の滑液包に石灰化が生じる場合など、激しい痛みを生じることがあります。また、凍結肩は
  滑液包や関節包が癒着して生じるもので、TMS理論だけで治癒するとは考えられません。
 ・腱炎、足底筋膜炎ではあきらかに力学的な負荷が疼痛の原因となっていると考えられます。
 ・捻挫と過労を放置すれば、たしかにTMSに移行するかもしれませんが初期の段階で適切な
  対処を行えば良いわけです。


解釈に困るもの  多発性単神経炎、炎症

 ・多発性単神経炎と診断されるような症例をあまり診たことがないので、それがTMSの
  可能性があるのかどうかよく解りません。
 ・炎症というのは漠然とした用語で、部位と状態がわからないと何とも判断できません。
  単に脊椎の炎症というだけでは、どのような状態かわからないわけです。


 TMSの全てを受け入れることはできませんが、いくつかの症例で治療に苦慮しており、 これにTMS理論を適用してみようかと考えています。特に、交通事故、労災、手術後の 疼痛などに、そのような例は多いようです。 


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